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質問

質問者:Keishun 「なぜ人を殺してはいけないのか」
困り度:
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「なぜ人を殺してはいけないのか」…当たり前の事なのに、私には説明できないのです。
・「法律」で禁止されているから
・「悲しむ人」がいるから、殺された人にも「家族」がいるから
・「神様が決めたこと」だから
…などの倫理・宗教・法律を持ち出さず、かつ情に訴える以外の方法でお願いします。

※こんな質問をすること自体がおかしいのかもしれませんが、そこはノータッチでお願いします。
私はこの質問を友人からされて、言葉につまってしまったので、皆さんのご意見を伺いたいのです。
質問投稿日時:07/12/16 14:34
質問番号:3602947
この質問に対する回答は締め切られました。
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回答

 

回答者:gohannannisiyo 「人を殺してはいけない」とは、私は思いません。
殺したければ、殺してもいいと思いますよ。
ただし、その後法によって裁かれ、ご自身と被害者の家族友人知人を不幸にし、死刑は免れても社会的に葬り去られることになりますが。
それでもよければどうぞ・・・ということだと思います。
実際それを覚悟で殺人を犯し、死刑を望む人だっていますしね。

殺人自体がいけないことではない証拠に、「合法的な殺人」っていうのもあるじゃないですか。
「死刑」です。(廃止している国もたくさんありますけどね。)
「戦争」という国家による殺人も、戦勝国なら罪に問われにくいですね。

ではなぜ古今の法律や宗教家は皆「人を殺してはいけない」と言うのか?
それは集団の秩序を維持するためだと思いますよ。

大昔、人間が家族単位で狩をしながら移動していたような時代なら、気に入らない外部の人間やいい物を持っている外部の人間は、はいきなり殺してしまえばよかった。

でも定住が進んで集落が形成されると、その集落を維持するために内部の決まりごとが必要になるのです。
「盗んではいけない」「殺してはいけない」といったような。

始めのうちはそういった決まりは内部にのみ適用され、他の集落の人間は平気で殺したりしていたんでしょうね。

その後、人間の生活が複雑化し集落同士の交易が生まれてくるとそちらの関係も維持しなければならないから、決まりごとの適用範囲も広くなってくる。

そんなこんなで「殺してはいけない」が定着してしまったのだろうと思います。

でも、質問者さん気づいておられるかどうか知りませんが
質問者さんも私も、実はすでに間接的には殺人をしているかもしれないのですよ。

例えば日本で売られているチョコレートの原料のカカオ豆のほとんどは、遠い国のカカオ農園に不当に安い給金で雇われた貧しい労働者が作ったものです。
給料が安すぎるので、幼い子どもたちも学校にも行けずに働いています。
中には、貧しい家庭から売られてきてただ働きさせられている子もいるそうです。まさに奴隷です。

私たちがスーパーで100円で買えるおいしいチョコレートの向こう側には、命を削られている人たちがいるのです。
これは間接的な殺人と言えると思いますよ。

もちろん法には触れないから罰せられないし、直接手を下したわけでもないから罪の意識も持ちにくいですけどね。
でも遠い将来、現在の先進国と呼ばれる国々が、他の国を搾取したことで罪に問われることもあるのかもしれません。

色々な「殺人」があります。
うまく言えないけど
「私はもしかしたら殺人者である」という思いも、必要なんじゃないかな。
種類:回答
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:07/12/18 11:56
回答番号:No.19
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回答

 

回答者:gootaroh >「なぜ人を殺してはいけないのか」

簡単に言うと、
「そういうことにしておかないと、自分自身も誰かに殺されてしまうから」
です。

なお、
>・「法律」で禁止されているから

とありますが、直接的に、人を殺すことを禁じる法律はありません。
刑法第199条は、「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。」という条文になっており、「人を殺してはいけない」のではなく「人を殺したらどういうペナルティが待っているか」ということだけが定められています。

常識的には、これをもって間接的に殺人を禁じていることになりますが、逆に言うと、「ペナルティ覚悟であれば勝手にどうぞ」ともいえます。

これは、法学部の学生が最初に習うことなのですが、要するに、法は誰に対して定めているか、ということです。専門用語では「行為規範」とか「裁判規範」なんていいます。

「行為規範」とは、ここでいうと、先に述べたような「これをもって間接的に殺人を禁じていることになります」ということです。要するに、物事の善悪是非を判断する基準ということですね。

一方、「裁判規範」とは、違法行為があった場合、裁判官がどういう判断をすべきかを示す基準がないと、裁判官によってブレが生じてしまいます。その基準が法というわけです。

実際は、どちらが正しいというわけではなく、両方を含んでいます。つまり、法は「行為規範」として一般市民を対象にするとともに、「裁判規範」として裁判官も対象にしているわけです。

後者だけをとらえると、「ペナルティ覚悟ならOK」という屁理屈も出てしまいますよね。

なんか禅問答のような感じになってきましたが、なぜこんな条文が生まれたかというと、もともとは、倫理・宗教あるいは常識からきているのでしょうね。

ただ、もう一歩踏み込むと、市民社会あるいは法治国家が成立するためには、その構成員(人)が生きていればこそ、という考えがあると思います。
構成員の安全が保障されていなければ、他のすべての社会・経済・行政活動が保障されませんよね。
ですから、市民社会あるいは法治国家として、構成員の安全保障のための基本的な規定だといえるでしょう。

ただ、

>倫理・宗教・法律を持ち出さず、かつ情に訴える以外の方法で

という制約の下で、最も簡潔な理由を挙げるとすれば、やはり、冒頭に述べたように、
「そういうことにしておかないと、自分自身も誰かに(無条件で)殺されてしまうから」
ということになるでしょう。
種類:回答
どんな人:一般人
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回答日時:07/12/18 09:48
回答番号:No.18
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回答

 

回答者:kaitara1 人を殺すというのはその人の肉体を殺すことと心を殺すこととの両方を含んでいます。他の動物を殺すと言うのは前者だけです。又複雑なのは人の場合肉体を殺せば心も殺したような結果になることです。普通人といっているのは心のことですから、無視とか差別とかそういうものも本当は殺人なのです。戦争では人を殺してもかまいません。これは肉体としての人が対象ですから、戦場では牛や豚と同じに扱ってもなんら罪悪感をもたらしません。しかし相手の心までが殺されることを考えるとなかなか戦争でも殺しにくいと思います。
種類:回答
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:07/12/18 06:07
回答番号:No.17
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回答

 

回答者:MS-Gothic 地球上からヒトがいなくなってしまうから。

【次のように考えます】
「殺していい」となりますと、人口が減ります。
減るということは、遅かれ早かれ、いずれゼロになることを意味します。(X>0)
人間がゼロになれば、「殺していい」という命題さえも生まれません。
のみならず、人間に関わるあらゆる命題が生まれません。
いい悪いの問題ではありません。
数理的に考えて、「殺していい」という選択肢を選ぶことが出来ないのです。
逆に「生き続けていい」という選択肢も選べません。(X<∞)
無限に向かって増えることがあっても到達できないからです。
善悪などの価値観を含まない事象論です。
種類:回答
どんな人:一般人
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回答日時:07/12/18 04:28
回答番号:No.16
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回答

 

回答者:aporo1 なんでもかんでも殺していいのならそこらの動物となにも変わらない。
人間と畜生との違いとは何か?といったらそういった事なのではないか?
我々は人だからああはならないとか、人だからああいう風にはならないとか尊厳の頂点にくるのが人間だからじゃないかな?
神やら悪魔やら色々と御座いますが、結局人間という存在についてはまだ未知数。
人類が何処まで良くなれる存在かは分からないけど、今のところ人類以上に良い存在は多分いないんだと思う。
種類:アドバイス
どんな人:経験者
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回答日時:07/12/18 02:39
回答番号:No.15
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回答

 

回答者:tabibito34 命は尊いものです。
種類:回答
どんな人:一般人
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回答日時:07/12/17 10:54
回答番号:No.14
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回答

 

回答者:woodpark 特別な場合を除き、他人の生命を奪ってもよいとされる合理的な理由が存在しないから。
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回答日時:07/12/17 10:14
回答番号:No.13
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回答者:aburakuni 他の方も仰っていますが、人間の行動とは集団生活のなかの個人と集団の調和を前提にした、「倫理・法律」に基づいて行なわれるものです。
集団は「全体の利益が個々の利益に繋がる」事から成立し、生存の利益は個々構成員にとって最も基本的なものであり、現在社会でも正当防衛は他に優先します。
「倫理・法律」は集団構成員の持つ宗教・感情等を要素として造られ、単なる個々の欲望だけでは実現しない集団を成立させる基本条件です。
従って集団=社会に敵対するのであれば「人を殺す」事は当人には問題ありませんが、社会は当然その行為を罰し当人を排除します。
「悪い」と言うのは社会の基準であり、絶対悪というものは存在しないので、貴質問の趣旨が判りませんが、この質問は本来哲学の項目に属すると思います。
種類:アドバイス
どんな人:一般人
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回答日時:07/12/17 09:59
回答番号:No.12
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回答者:dai-ym 基本的に集団生活をするというのは、その集団でいることにより他から攻撃やに対して身を守るためという部分があります。
それなのにその集団の内部同士で殺しあってしまってはその集団で身を守る意味がなくなります。
人間という生き物は単体では非常に弱い生き物で集団で武器を持ってはじめて他の動物と戦えます。
またそのように集団化できるため、自分たちの財産を狙う他の人間のグループから身を守る必要性もあります。
そのために人を殺したいから集団での行動をしないということも難しいです。
そのため、自分が生きて財産を守るためには同じ集団や協力関係にある集団の他の人を殺してはいけないとなってきます。

今の日本は世界的にどこかとそこまでの争いになっていないので、日本という国(集団)以外の他国(他の集団)の人も殺してはいけなくなります。
これが戦争になるとその戦争の相手は協力関係にない集団となるので、相手の国の人間を殺しても問題ではなくなるのです。
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回答日時:07/12/17 07:39
回答番号:No.11
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回答者:chiasa710   生きる権利があるから。



 
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回答日時:07/12/16 20:46
回答番号:No.10
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回答

 

回答者:eienn 週間少年サンデーで連載中の、
「殺戮姫」
を読んでみては?
「なんで人を殺しちゃいけないかって?殺されたくないからさ」
という風な台詞がでてきます。

さて、「私は殺されたい!」という人には、
そもそも、「論理」「言葉」「理性」など意味を持たない。
種類:アドバイス
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:07/12/16 18:41
回答番号:No.9
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回答

 

回答者:ak11 「私はこの質問を友人からされて、言葉につまってしまったので」と言う部分について回答してみたいと思います。

まずなぜ人を殴ったり悪口を言ったりしてはいけないかということは説明できますか。
もしできるのであれば、なぜ人を殺してはいけないかも説明できます。
理由は同じだからです。
ではなぜ、人を殺してはいけないのかと問われたときにだけ言葉に詰まってしまうのかというと、それはすでに死んだ人間を思い浮かべても、死者に対しては手ごたえを感じないからだと思います。

たとえば、人が殴られたり悪口を言われているところを想像して痛そうだなと感じることは可能です。
ですが、すでに死んでしまっている人間が殴られたり悪口を言われているところを想像すればわかりますが、痛そうだなと感じることはできません。手ごたえを感じないのです。

人間と言うのは善悪の判断を行う際には、悪いことが行われた後、つまり被害者が苦しんでいる状態を思い浮かべてそれが悪いかどうかを判断しているのです。
これを死んだ人間に当てはめてみると、すでに死んでしまっている人間の苦しみを想像することは不可能です。
手ごたえを感じないのです。
つまりなぜ人を殺してはいけないのかと問われたときに言葉につまるのかは、善悪の判断基準が人間が苦しむかどうかを思い浮かべて行われてるがゆえの錯覚なのではないかと思います。

この錯覚を防止するには殺されたあとではなく、まさにこれから殺されようとしているところを想像すれば解決できるかもしれません。
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回答日時:07/12/16 16:54
回答番号:No.8
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回答

 

回答者:debukuro お互いの益になるからです。
殺さないことが自己にとって有利だから殺さないだけです。
そうではなくなったとき殺し合うのです。
憎しみ(多分人間だけ)
利害の衝突(すべての生物にあると思います)
その最たるものが戦争です。
ダーウインが言っています
利害が相反するから同種間の争いが最も激しい。
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回答日時:07/12/16 15:36
回答番号:No.7
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回答者:fumi-33 人間が他の動物と違い理性や知性を持ってしまったからでは
ないですか。
自分で考えだす力をもったためとも言えます。
動物でもそうですが、同種族ではそんなに殺し合いはしませんよね。
でも戦争では認められるのに個人ではいけないと言われると回答に
詰まります。
種類:アドバイス
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回答日時:07/12/16 14:49
回答番号:No.5
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回答者:maaka8822 情に訴えるかは解りませんが。
貴方は「殺されたいですか?」もちろん「NO」ですよね。
相手ももちろん同じです、だから平等に殺すより平等に生かす事を選ぶだけです。
死にたいなぁと思ったことがあっても、拳銃突きつけられて怯えない人はほとんど居ません、市販の風邪薬でも非常に大量に飲めば死ねるのにそれをしないのは、本当は生きたいか死に怯えてるからです。

*自殺を助長するものではありません
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回答日時:07/12/16 14:43
回答番号:No.4
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回答者:noname#64329 自分が他人を殺していいのであれば、逆に「他人に自分が殺されてもいい」ということです(他人から見れば自分も他人ですので)。
さて、そんな世の中はいったいどうなるのでしょうか?
見知らぬ誰かがくだらない理由であなたを狙ってくるかもしれません、いや最近では近所の知人、はては親兄弟であっても返って付き合いが深い分つもり積もったものが爆発して襲い掛かってくる矢も知れません。
そんな世の中で人間として生活していけますか?
「いや俺は殺されない自身がある」という人はまずいないでしょう。
腕っ節に自信があっても、寝込みが襲われたり薬を使われたりしたら抵抗すらできません。
となると誰しもがおちおち寝ていられません、飲食にもピリピリ神経を尖らせないと。
はっきりいってこんなの社会としてなりたちません。
だから人間は「安心して暮らせるよう」殺人はいけないというルールをつくっているわけです。
種類:回答
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:07/12/16 14:42
回答番号:No.3
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回答

 

回答者:ash2pure 人を殺すことを肯定すると、
自分が殺されても文句を言えないことになる。
もちろん、自分の大切な人が殺されても文句は言えない。
つまり、社会全体が、人を殺すことに対し、否定的になることで
各々、自分や家族を守ろうとしていることになるのでは?

要は、生存本能の裏返しかと。
種類:回答
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:07/12/16 14:38
回答番号:No.2
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回答

 

回答者:uuing 自由に人を殺せるような社会では、安心して暮らせないからです。
種類:回答
どんな人:経験者
自信:自信あり
回答日時:07/12/16 14:36
回答番号:No.1
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